ハンドメイドは懐かしい母の思い出

手作りであるということ、それは記憶をたどれば幼少の頃に母に用意してもらった学校で使うためのちょっとしたものであったり、道具を収める袋であったり、そのようなモノを思い出さないでしょうか。

自分が使うことを考えて、自分の好みに合わせたものを、そして使いやすいものを、手触りがよく、かつ友達に見せたくなるようなものを、用意してもらっていたのではないでしょうか。私たちは生きている間にそれらのハンドメイド品に自然と出会っていたのです。自分のために作られた、自分専用のアイテムを用いていたのです。店頭などでハンドメイドのアイテムを目にすると、その頃の懐かしい記憶が蘇ってはこないでしょうか。

私たちは「自分のためになにか用意してもらうこと」に対してとても嬉しく感じます。そして、その喜びを誰かにまたわけるために、誰かのために何かをしたいと考えます。そのようにして私たちの「思いやり」は連鎖していくものです。そのような「前向き」な行為の連鎖が世の中を良くしていくものです。私たちはそれぞれが、自分が心地よくなるために工夫しているのですが、その中には「誰かに何かをしてもらった」ということが沢山含まれているものです。

自分の親は、自分のためにさまざまなことを尽くしてくれたはずです。ですから、自分が親になるとまた自分の子に対して同じように愛情を注ぐものです。そのようにして世代を繰り返し、その「優しさ」は受け継がれていきます。ハンドメイド品に対してそのような心が温かくなるような印象を持つのは、私たち誰もがそのような両親の記憶を持っているからです。両親の手作りのアイテムを、とても嬉しく使用していたからです。

人が作る温かみというものは、実は幼少の記憶が思い起こされるからなのです。そのようなことを考えれば、ハンドメイド品を用意すること、それを販売することというのは、誰かに対してそのような温かい記憶を思い起こさせる機会を提供するということです。記憶はかけがいのないものです。それらは私たちにとって、なによりも大切なものです。そのような大切な感情に触れるものがハンドメイド品なのですから、それはとても尊いものであり、本当は値段など付けられないのかもしれません。

自分はひとりで成長したわけではないということ、誰かに支えられて、誰かに育てられて、今ここに存在しているのだということ、さまざまな「思いやり」に包まれて生きているのだということ、それらを含むさまざまな感情が、ハンドメイド品に対する「良い」という感覚に繋がっているのです。「誰かのために」という、人としてもっとも重要な意志が込められているのがハンドメイド品です。

ビジネスでは「販売」することがとても大切ですが、それらの「人として大切な部分」に触れるアイテムナノデスカラ、ただ「原価」がどうであるとか、工数がどれだけかかったであるとか、そのような淡白なことだけではすまないのです。人の感情に触れることになるのがハンドメイドです。何か大切な記憶で、そっとその人を包み込む優しさを持つのがハンドメイドです。ただの「モノ」ではないということ、「工場でつくられたもの」ではそのような効果は得られないということ、それらを理解して、ハンドメイド品に接する必要があるのではないでしょうか。