ハンドメイドなのかどうか確かめる?

現代の工業の技術というものは凄まじいものがあります。それは生産力という数字で表せるようなスケール感だけではなく、「技術力」も素晴らしいものがあるのです。

さまざまな製品が日々生産されています。私たちの手に届くまで、さまざまな取引、さまざまな経路を辿って店頭に並んだり、カタログに掲載されたりしています。それらの製品のひとつひとつが「作られたもの」であり、すべてに「存在する理由」があり、すべてに意味があるのです。世の中に存在する製品にはさまざまなものがあります。値段が高いものはその分コストをかけて作られたものですし、安価なものは一度に大量に生産するなどして低コストで作られたものです。

私たちが「欲しい物」は、少しでも安く、それでいて高機能なものです。私たちにはそれぞれ収入の限界があり、私たちにはそれぞれ「どれだけの対価を払えるか」の基準があるのです。それらの基準は「価値観」といいます。価値観は人によってバラバラです。人が「良い」といっても自分が魅力を感じられなければそれを買うことはありません。その逆で、自分が「良い」と心底思い込んだら、人がどう言おうとそれを買ってしまうものです。

その価値観の中の判断基準のひとつに「ハンドメイドかどうか」というものもあるかもしれません。「ハンドメイド品」は「ハンドメイドである」ということをひとつの「ウリ」にしている場合があります。それが「ウリ」になる理由としては、「同じものがこの世にふたつ存在しない」という限定感もあるかもしれません。陶器などの工芸品であれば、「職人」が作ったというレーベルがついている方が、価値があるように見えるからかもしれません。ですが、私たちの持つ技術力、工業力はそのような「ハンドメイド」を模倣することも実現しているのです。

一見すると手作りに見えるような製品が、世の中には溢れています。それらが工場で、オートメーションで作られたのか、それとも人の手による造作物かということをどのように調べたらいいのでしょうか。また、それを「調べる意味」はあるのでしょうか。

天然の木材を用いていても、工場で作られる場合はあります。金属を加工したものであっても、工房で人の手によって作られたものもあります。それらの違いはいったい何でしょうか。もちろん、モノを選ぶ判断基準の中に「ハンドメイドかどうか」があり、それが「重要だ」ということであれば、それを考えずにはいられないでしょう。ですが、そのようなことを考えてもその「モノ」自体の性質は変わりませんし、果たせる役割や機能も変わらないのです。それでもどうしても確かめたいものなのでしょうか。

モノの捉え方も人それぞれです。生理的に「ハンドメイドでなければ嫌だ」ということでないのであれば、「別に工場で作られていてもいい」と考える人もいます。そのモノに対する愛着は人それぞれです。大量生産品であれば愛せないという人もいれば、どのような経緯で作られていても自分が気に入ったらそれでいいという人もいます。ハンドメイドを模倣したものであっても、「ハンドメイドです」と偽るようなことはないはずです。どこで作られたのか、ということは明記されているものなのです。