モノの価値は受け手が決める

いくら世間に認められたデザイナーの作品であっても、世間で評価されている商品であっても、それらが絶対的に「優れている」というようなことはありません。

それらのアイテムが「売っている」限り、そのモノの価値を決めるのはそれを買おうかどうしようか迷うひとりひとり決めることです。要するに、「要らない」と思ったら「買わない」ということです。売られている以上、それが「良いかどうか」は「欲しいかどうか」ということになります。どれだけ優れたデザインとされていても、どれだけ優れたデザイナーが作ったものでも、「いらない」と思えばそれまでなのです。「要らない」モノは、「買う価値」などなく、それは絶対的な基準ではなく、消費者次第なのです。

もちろん、供給に対してその「モノ」が限られた数しかないのであれば、それは需要の方が供給を優るということですから、そのアイテムの値段はどんどん上がっていくでしょう。それは相対的には人気で、かつ希少で、買いたい人のすべてが手に入れられるわけではないという「プレミア感」がつきます。ですが、だからといって万人がそれを欲しいかというと、そういうわけではないということです。「いらない」ものは「いらない」。それが私たちの価値基準です。それを買うかどうかは自由なのです。

人はそれぞれバラバラの価値観を持っています。「道徳」や「倫理」などといったことは、社会が安定するために必要なことではあります。お互いがお互いを害せずに生きていけること、相互が思いやりを持つことは、さまざまな価値観を持つ私たちが社会で混ざり合うためには必要なことでしょう。私たちの社会はそんな「それぞれの価値」を互いに認めることができるようになっています。私たちが自由を感じることができているのは、そのような社会の枠組みのおかげでもあるかもしれません。「価値」が「絶対的なもの」として押し付けられるようになってしまうと、私たちは息苦しい生活を強いられることになるのです。

さまざまなデザインを、自分の好きなように捉えていいということ、買っても良いし買わなくても良いという自由、自分が気に入るものを探すことができる自由というものは、私たちが少しでも「楽しく快適に」生きていけるようにするための枠組みです。世間が良いといっていても、自分はそれを好まないということ、みんながいいといっていても、自分は嫌いであるということ、価値観は縛れないのです。

そのような人の好みに刺さるために、世の中にはさまざまなアイテムがあります。「ハンドメイド」であるということは、私たちが少しでも目的のアイテムに出会うことができるように、さまざまなアイテムを提供できるということです。ハンドメイド品は、同じアイテムでもさまざまなデザインを持つことができます。同じ商品でもデザインがバラバラであるということは、より自分にあったものを選ぶことができるということです。そのような「モノを選ぶ自由」の幅を広げてくれるのがハンドメイドです。私たちは縛られるのが嫌いです。自分の好きなように、好きなことをして、好きなものに囲まれて生きていたいものです。そのような自由を体現することができる、それがハンドメイドです。