まずは親しい人に作ってあげることから

何かを創るだけではそのうち「物足りなさ」を感じるかもしれません。作ったものを誰かに認めてもらいたい、感じ取ってほしいということに思い至るかもしれません。

どのような創作でも、その「道」というものがあります。そして、その「道」にはすでに先駆者がいて、自分よりも上手に「それ」を作っているものです。自分はその道に入ってまだ間もないということであれば、その先駆者よりも劣ったクオリティなのは仕方がないことでしょう。自分がどのようなものが好きなのであれ、どのような道を歩みたいと考えていても、必ず「最初」はあります。そして、「最初」はうまくいくものではないのです。人は「上達」します。だから、最初はうまくいかなくてもいいのです。

ですが、「何かを創る」ということを続けることは精神的にも意欲を持ち続けなければいけないものです。「意欲」をどのように維持するかというと、それは自分の作品を好きになることから始まります。自分の作品を好きになるためには、自分で自分を認めることが大切です。そして何より、「誰かに認められること」が大切です。「ほめられて伸びる」といえば子どものようですが、私たちは「大人」になってしまう変に賢くなってしまうものなのです。賢くなること自体は別に悪いことではありません。私たちは自分が上手に生きていくための知恵を、時間と共に得るものです。それ自体は役に立つことであり、より収入を多く獲る知恵であったり、時間を有効に利用するための知恵であったりするかもしれません。

ですが、その「知恵」の中に「こんな創作はムダだ」という意識が混ざってしまうと一気に作れなくなってしまうものなのです。「意志ひとつ」でできることとできないことが変わってしまうということなのです。それは「創作」が私たちの意志だけで動かされているものであり、私たちは作ろうと思えばなんだって創ることができるのに、変に賢くなってしまうから作れなくなってしまうのです。それは「作ろうとしなくなるから」です。自分よりも圧倒的なクオリティを誇る作品を目の当たりにしたり、自分の創作が認められなかったりすると、「熱が冷めてしまう」かのように創作に対する意欲を失うのです。

それは悲しいことです。誰でも最初はうまくいかないものです。それを「意志」によって上達させることが必要なのですが、変に賢くなってしまうとなかなかつづけられなくなってしまうのです。「才能」などというものは実はこの世には存在せず、それは「続ける意志」にほかならないのですが、「自分はこの程度だ」と、自分で枠組みを作ってしまうのです。それはとてもさみしいことですし、大人ならではの誤った達観です。

そのような事にならないためには、まずは親しい人に作ったものを見せるというところからはじめるのが良いのです。自分の作品を認めてくれるだれかに、認めてもらえばいいのです。そのようなことをしなくても、誰に何を言われても、「創ることを辞めない」というのであればいいのです。ですが、人の意志はもろいものです。どこでくじけるかわかりません。そのようなことを加味して、自分のことを「褒めてくれる人」を見つけるということも大切なのではないでしょうか。